History, Nippon Medical School Physiology Department

日本医科大学生理学第一講座の沿革


沿 革

 日本医科大学の源流は明治9年(1876)4月、西洋医学による医師開業試験のため長谷川泰の私塾として設置された私立済生学舎にある。明治36年(1903)8月済生学舎の廃校をうけて、明治37年(1904)4月私立日本医学校が設立され、旧済生学舎の学生多数を引き継いだ(本学創立記念日4月15日)。明治43年(1910)9月現在地に付属病院を開設し、明治45年(1912)7月私立日本医学専門学校となり、大正8年(1919)8月、名称を日本医学専門学校に変更した。大正15年(1926)2月大学令による当時の19医科大学・医学部(私大3・公立1・官立6・帝大8・他1)の一つとして、日本医科大学となった。昭和27年(1952)2月、学制改革により新制大学となり、昭和35年(1960)3月大学院医学研究科を設置し現在に至っている。
 専門学校時代までは外部から招いた定時制の講師により生理学の授業が行われており、研究室は無かった。大正15年(1926)日本医科大学の設置により戸塚武彦初代教授の主宰する生理学講座が発足した。また、大学院の開設に伴い昭和35年(1960)4月高橋悳教授により生理学第二講座が開設され二講座制となった。

大正13年(1924)

    戸塚武彦初代教授就任。(大正11年(1922)東京帝国大学医学部卒、永井潜、橋田邦彦両教授に師事。専門は電気生理学・刺激生理学。)

大正15年(1926)日本医科大学の設置に伴い生理学講座が開設された。

日本生理学雑誌の編集
 本邦の生理学研究の発展における戸塚武彦教授の特筆すべき貢献の一つに日本生理学雑誌(リンク)の編集・刊行がある。昭和10年(1935)日本生理学会が会員組織として発足した。昭和11年(1936)から原著雑誌である大日本生理学雑誌の刊行が戸塚教授を編集担当の常任幹事として始まった。大日本生理学雑誌は戸塚教授の尽力により本邦学術誌の一つとして確固たる地位を占めるに至ったが、やがて戦局が苛烈になり発行も制限され、昭和19年(1944)11月を最後に刊行停止のやむなきに至った。日本医科大学の主要施設も昭和19年1月28日、3月9、10日の東京空襲により烏有に帰し、山形県鶴岡市に学校疎開した。しかし、戦火が収まるや戸塚教授は同地の鶴岡印刷株式会社と相談され、昭和21年(1946)7月、早くも復刊を実現された(中断は1年8ヶ月のみ)。以後今日に至るまで半世紀以上にわたり、日本生理学雑誌が山形県鶴岡市で印刷されているのは、このような経緯による。

昭和34年(1959)3月 第36回日本生理学会主催。

昭和40年(1965)3月 戸塚武彦教授定年退職。名誉教授。昭和62年11月30日ご逝去。

昭和40年(1965)5月

    小西喜久治教授就任。(東京大学医学部卒、東京医科歯科大学歯学生理山極一三教授に師事。専門は有髄神経線維の電気生理学。)

昭和58年(1983)3月 小西喜久治教授定年退職。名誉教授。

昭和58年(1983)4月

    品川嘉也教授就任。(昭和32年(1957)京都大学医学部卒。)

平成4年(1992)10月24日 品川嘉也教授ご逝去。

平成5年(1993)5月

    佐久間康夫(昭和46年(1971)横浜市立大学医学部卒)、教授に就任、今日に至る。


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